発生期の脳で神経細胞の核はどうやって狭い空間を通りぬけるのか
近畿大学 理工学部 エネルギー物質学科 講師
※本研究を行っていた当時は特定助教(見学グループ)
中澤 直高
Naotaka Nakazawa
現在、近畿大学に所属している中澤さんは、神経細胞やがん細胞に加わる機械的なストレスの検知・応答機構を研究しています。今回、中澤さんは、脳発生期における神経細胞が自身をとりまく環境の三次元的な空間の大きさに応じて複数の移動様式を切り替えながら移動することを明らかにしました。

今回の論文の中で、最も伝えたかったことを教えてください。

私たちの脳は層構造をもっており、この層構造が形成されることが脳が正しく機能するために重要であることが知られています。脳の層構造は、神経細胞が先導突起の伸長と細胞核の移動を繰り返しながら、生まれた場所から移動することで形成されます。これまで細胞核移動のしくみに関して、神経細胞の種類や実験系の違いにより、神経細胞内のアクトミオシンによる駆動力の場所が異なることが報告されていました。しかしながら、異なる駆動力の原因は明確ではありませんでした。また、脳の組織内には多くの神経突起や細胞外基質によって密になっている部分があり、 神経細胞が自身の大きさ(特に最大の細胞小器官である細胞核)よりも小さな空間をすり抜けるしくみはほとんど分かっていませんでした。今回の研究では、、脳の発生期の神経細胞が自身を取り巻く微小環境の大きさ(狭さ)に応じて細胞内の異なる場所で細胞核移動の駆動力を生じさせることで移動様式を切り替えていることを明らかにしています。分子レベルでは、機械的な刺激を受け取るメカノセンサータンパク質であるPIEZO1が、狭小な空間を通過する神経細胞に加わる機械的ストレスを感知し、狭小な空間を通過するために十分な機械的な力を細胞核の後ろの方で発生させることが分かりました。本研究では、神経細胞を取り巻く微小環境の三次元的な大きさに着目しています。そこで、微小環境の大きさを制御するために、共同研究者と独自に開発したマイクロデバイス流路を実験に取り入れました。これによって、神経細胞移動の研究に新たな着眼点と方法論を示すことができたと思います。また、細胞移動という現象は、神経細胞に限ったものではありません。免疫細胞やがん細胞などの細胞もも示す細胞移動をします。これらとの比較によって”細胞が移動する”という現象に関する普遍的なしくみに迫ることができる可能性もあると考えています。
今回の研究で、一番嬉しかった、もしくは感動した瞬間を教えてください。
マイクロデバイス流路内の神経細胞が、これまで見たこともない動き方で狭小な空間を通り抜ける瞬間を観察した時です。今回の研究で用いた小脳顆粒細胞は、細胞核の前方と後方の神経突起が細長い形状を保ったまま、細胞核の前方の牽引力によって細胞核が移動することが知られているのですが、この時は細胞核の後方の突起が急激に短くなったのです。「あれっ。」と思いました。この後どうなるのか、ドキドキしながら観察を続けていると、細胞核の先端が狭小な空間に差しかかったときに、細胞核後方の細胞膜が水泡状の形態を示すことに気づきました。水泡状の構造は細胞死のサインでもあるので、もしかしたらこのまま死んでしまうのかな、と思いながらも観察を続けると、細胞核が押し込まれるように狭い場所を通過し、水泡状の形態が解消されて元気に流路を進んでいきました。この瞬間、「やった!」と思いました。この実験は、“細胞核後方の収縮力によって細胞核が狭小な空間をすり抜ける”という仮説を検証するための実験だったのですが、強い収縮力がかかった細胞膜が水泡状の形態をとることがあるため、私たちの仮説をサポートするデータが得られた瞬間だったからです。その後、他のサンプルの細胞でも同様の動態が観察され、今回の研究においてキーとなる実験結果を得ることができました。
今回の研究における最大のチャレンジ、困難は何でしたか?それをどうやって乗り越えましたか?
一番、難しかったのは、脳の中の狭小な空間をどのように再現するかという点でした。これを乗り越えるために、以前、私が所属していたシンガポール国立大学 メカノバイオロジー研究所のGianluca Grenci博士をアイセムスリトリート(研究合宿)にお招きし、それをきっかけにに独自のマイクロデバイス流路を共同で作製し始めました。PIの見学先生の勧めで、私自身もシンガポール国立大に何度も足を運ばせてもらい(途中、新型コロナウィルス感染症の蔓延で往来はストップしてしまったのですが)、流路を制作してもらい培養実験をする、という条件検討を繰り返しました。こうした試行錯誤の結果、最終的な実験条件が決まり、研究に必要な重要なデータを得ることができました。また、アイセムスには共通機器として様々な種類の顕微鏡が設置されており、それらを利用させてもらえたことも重要なポイントでした。他方、私は遺伝子欠損マウス(特定の遺伝子が欠けているマウス)を使った実験の経験がなかったのですが、見学グループの栗栖純子研究員にたくさん助けていただき、無事にその実験も進めることができました。このように、研究を進める中でいくつもの困難がありましたが、多くの研究者の協力があったからこそ乗り越えることができたと思っています。本当に共同研究者の方々に深く感謝しています。
今回の研究で学んだことは、あなたの研究人生、研究の方向性のターニングポイントになったと思いますか?もしそうならば、どの様に変わったのかを教えてください。
今回の研究では、見学グループで学んだ脳発生研究の基本操作に加えて、以前取り組んでいたメカノバイオロジー研究の手法も多く取り入れました。私が参加する前から、見学グループではメカノバイオロジーの手法が取り入れられていましたが、見学先生やグループのメンバー、国内外の共同研究者と議論しながら本研究を進めることで、メカノバイオロジー研究の手法を用いた脳発生研究をさらに深めることができたと思います。アイセムス以前に勤めていたシンガポール国立大学はメカノバイオロジー分野のメッカですが、その分野のアイデアや技術を脳発生研究に応用した研究者はほとんどいませんでした。そんな中、アイセムスでメカノバイオロジーの手法を用いた脳発生研究を実施できたことで、自身の着眼点や実験アプローチを広げることができただけでなく、脳神経科学分野・メカノバイオロジー分野、両者に新しい着眼点をもたらすことができたと自負しています。そのため、アイセムスでの研究活動の経験は、私にとってこれからの研究の方向性を考える上で大きな転機になったと感じています。
現在のあなたのポジション、仕事環境を教えてください。iCeMSでの研究を通して得た、知識や経験などはキャリア形成にどのような影響を与えましたか?
私は現在、近畿大学で講師を務めており、所属している理工学部・エネルギー物質学科(2022年度新設)にて、自身が立ち上げた研究室での教育・研究活動と学部・学科教育における基礎・専門の講義・実習を担当しています。アイセムスの環境は自分の専門とは異なる研究者との交流が非常に盛んであることから異分野の研究の面白さを理解しようとする遊び心、異分野の研究の考えや技術と自分の研究の繋がりを見つける探究心を強くすることができました。アイセムスで成長できたことで、現在の所属で教育・研究活動する機会を得ることができたと考えています。現在所属している学科も、物理・化学・生物を専門とする教員が集まる学際的な環境であることからアイセムスの雰囲気に似ていると感じることもあり、アイセムスで培った遊び心や探究心が今でも研究・教育に役に立っていると強く感じます。
最後に、iCeMSで現在も研究を行っている若手研究者(ポスドク、学生)にメッセージをお願いします。
アイセムスは、若手研究者にとって非常にサポーティブな環境ですので、そのような環境における研究活動を思う存分楽しんで欲しいなと思います。まずは目の前の自分の研究テーマを着実に進めることが大事ですが、可能であれば、研究室の垣根を超えてぜひ多くの研究者と交流し、自分自身が面白いと思うサイエンスを他の研究者と語り合って欲しいと思います。そうすることで、自分の研究やキャリアが広がっていく可能性が高まりますし、アイセムスで共に過ごした研究者に様々な影響を与えることにもなり、多くの方が幸せににもつながるのではないかなと思います。
論文情報
論文タイトル:“PIEZO1-dependent mode switch of neuronal migration in heterogeneous microenvironments in the developing brain”
著者:Naotaka Nakazawa, Gianluca Grenci, Yoshitaka Kameo, Noriko Takeda, Tsuyoshi Sawada, Junko Kurisu, Zhejing Zhang, Kenichi Toma, Taiji Adachi, Keiko Nonomura, Mineko Kengaku
発表:2025年3月