好きなことに一直線。道はおのずと拓かれる

「動物っていろいろな姿をしていておもしろい」。子供の頃の感動はいまなお冷めることがない。好奇心に突き動かされ、「好きなことをする」という姿勢を貫いてきた長谷川講師はいま、幹細胞を通して動物の体をつくる細胞の神秘を追い求めている。動物の体をつくる大もとの卵細胞と同様に、iPS細胞やES細胞もまた、さまざまな組織や臓器の細胞に「分化」する能力を秘めている。この「分化」を理解して、自由に制御できれば、体がどうやってできるのかがわかるだけでなく、分化させた細胞を使った再生医療や創薬への貢献も計り知れない。生命科学の最先端、幹細胞の分子メカニズムを解く研究に魅了された長谷川講師は、京都、インド、オーストラリアの3か国を飛びまわる。

特定拠点講師

長谷川 光一

Kouichi Hasegawa

「なんで動物は、こんなにいろいろな姿をしているんだろう」。有明海に面した熊本県玉名市に生まれ、自然と戯れて育った少年が抱いた素朴な疑問が、幹細胞研究で世界を飛びまわる研究者の原点だ。

はせがわ・こういち

1972年に熊本県に生まれる。1995年に広島大学理学部生物学科動物学専攻を卒業。2000年に関西学院大学大学院理学研究科博士後期課程を修了。京都大学再生医学研究所研究員、南カリフォルニア大学 細胞・神経科学研究科助教授などをへて、2011年から京都大学iCeMS NCBS-inStemサテライトラボグループ講師、インドNCBS・inStem助教授、2014年からオーストラリアのメルボルン大学医歯学部上級研究員。ベンチャー企業の技術顧問も勤めている。

動物のことだけを学びたかった

 「普段の生活には無頓着なのに、どうして実験はあんなに丁寧なんだ」と言われるほど、好きなことにはとことん集中し、こだわるタイプだという長谷川講師。広島大学への進学を決めたのも、1年次から「動物学」に特化した専攻に入れるから。
 大学で動物学を学ぶなかで、「動物の形態を解き明かす鍵は発生にある」と考え、大学院では発生学を学ぼうと決意する。しかし、卒業研究を希望していた木下勉教授が関西学院大学に異動に。「発生学を学びたいなら、関学の大学院においで」と言われた。
 さらに困ったことに、木下先生の関西学院大学での所属は化学専攻で、院試では化学が必須だという。それまで生物学一直線で、化学はてんで勉強してこなかった。しかし、こだわりの強い長谷川講師に、「別の研究室に進む」という選択肢はない。一心不乱に化学を勉強し、みごと合格。木下先生のもとで、念願の発生学の研究に励んだ。「問題の立て方、実験方法、論文の書き方など、研究者の基礎をしっかりと叩き込まれました」。

研究者の道へ、そして海外へ

マウスの受精卵から〈最初〉の細胞の〈分化〉が起こるときの胚を染色したもの。緑色で染めた将来の体になる細胞と、赤色で染めた胎盤になる細胞に細胞の運命が決定したところ

 博士課程を終えた2000年は、就職氷河期が続いていた。就職難に嘆く友人の姿を見ると、「就職活動に時間を割くよりも、楽しい研究を続けられるだけ続けてみよう」と、当時、京都大学再生医科学研究所の教授だった中辻憲夫先生のもとに研究員として転がりこんだ。「最初は遺伝子改変マウスの作製を任されました。すると、学生時代から生物学だけは熱心だったおかげか、得意だった実験の腕を中辻先生に買われ、ヒトやサルのES細胞をつくるチームに移ることになったのです」。
 京都大学で幹細胞研究というテーマに出会い、その後、「海外で研究してこい」という中辻先生の煽動を受けて、妹家族の住むオーストラリアで、幹細胞研究の大御所であるマーティン・ペラ先生の研究室に応募した。ところが、ペラ先生がちょうどオーストラリアからアメリカに移るタイミングであったため、予期せずしてアメリカの南カリフォルニア大学に留学することになった。そこで、中辻先生に続いてペラ先生からも指導と影響を受けた。「アメリカ流の研究助成金の申請書の書き方も身につけ、研究者としてのスタイルを確立できた時期です」。

3か国を飛びまわる生活のはじまり

 ところが、またしても試練が待っていた。2008年の経済危機の余波で、大学では新規採用の停止とスタートアップ研究費の凍結がなされ、アメリカで研究を続けることが難しくなった。そのとき、iCeMSの拠点長になっていた中辻先生に呼び戻されたが、条件は、「NCBS(インド国立生命科学研究センター)のiCeMSサテライトラボも立ち上げて運営してください」とのことだった。「かなり戸惑いましたが、人の頼みは断らないタイプです。(笑)それに、思い返すと、優秀な研究者や指導者に出会い、影響を受け導かれながら、私は成長してきましたから」。
 NCBSには、研究に費やせるスタートアップ資金は充分にあったものの、肝心の研究施設が建設中。一方で、年度途中での就任であったため、設備の揃っている京都では研究費が不足し、思うように研究できない。困っていると、ペラ先生から、「メルボルン大学に研究室を立ち上げるから、手伝ってほしい」と連絡があり、二つ返事でオーストラリアに向かった。「立ち上げ業務もたいへんでしたが、合間に隣の研究室を借りて実験をしました。論文を2本書き上げて、とても充実した3か月でした」。
 以来、毎月のように京都とインドを中心に、オーストラリアも行き来する研究生活が続く。「昨日、インドから帰ってきたばかりです。3か所に拠点がありますが、それぞれ研究は違います。設備も資金も研究文化も違いますから」。京都で幹細胞の基礎的な研究に励むかたわら、インドでは幹細胞の分化を利用して、マラリアなどの治療薬となる物質を探す。「インドで研究するからには、現地の人びとの役に立つ研究をしたい。この京都で取り組む基礎研究も、いつかは患者さんたちの役に立つ医療や技術として利用されることを夢みています」。

インドの共同研究者の結婚式にて、研究所のメンバーと。「インドで多様な文化や考え方に触れることは楽しく、考え方に幅をもたせることができます。仕事では逆に葛藤することも多いですが……」
趣味はバイクに乗ること。アメリカの荒野の何もない中をひたすらまっすぐ走ると、自然の偉大さに感動し、自分の小ささを実感でき、いつも自分を見つめ直せます

制作協力:京都通信社

※本記事は、アイセムスのニュースレター「Our World Your Future vol.3」に掲載されたものです。研究者の所属などは、掲載当時のものです。