スマート遺伝子スイッチが切り開く高精度医療への道

エピジェネティック情報は、DNA配列を変化させることなく、そこに記されている遺伝子の読み方を変えることができます。細胞の性質や振る舞いを決める極めて重要な役割を担う大切な情報です。特定のDNA配列を読み取り、それに結合できるデザイナーズ分子を開発することは、エピジェネティクス状態を変化させ、特定の遺伝子のはたらきをオン・オフする手法につながります。エピジェネティクス状態を左右する天然の遺伝子スイッチを解読し、その仕組みを模倣した「スマート遺伝子スイッチ」を作り出すことは、遺伝性疾患を治療するための新たなアプローチともなりえます。ナマシヴァヤムグループでは、ミトコンドリアDNAに作用する化合物を発見し、精密医療への可能性を秘めた「転写療法」という全く新しい分野を切り開いています。

講師

ガネシュ・パンディアン・ナマシバヤム

Ganesh Pandian Namasivayam

研究者になりたいという若い人には、少し煩わしくても『なぜそうではないのか 』その理由について問い続けることを勧めています。『なぜそうであるのか』は既知の事柄の不明な部分に切り込むことができますが、『なぜそうではないのか ?』は、未知の事柄の不明な部分、つまり想定外な領域に踏み込むためのスイッチとして役立つと思っています。

インド、タミルナドゥ州ティルネルベリ生まれ。インド、マドラス大学にてバイオテクノロジー修士号取得したのち、新潟大学大学院応用生物科学研究科博士課程修了。2012年からアイセムス杉山グループ研究員、2014年 特定助教、2018年 助教を経て、現在に至る。 現在はアイセムスで自身の研究グループを率いるほか、スイスAO研究所の客員研究員、ラトガース大学KiBum研究室の客員教授、株式会社レギュジーンの科学顧問を務める。

全てを疑ってかかること!

問い続けるだけでなく、答えを探すようにと励ましてくれた母と一緒に。

私が12歳くらいの頃、目に異常が出たため、約1年間、家にいなければなりませんでした。学校に行けなかった私は、自然を観察し、母親に質問をするようになりました。 ただ会話をしたかっただけの母を困らせてしまっていたかもしれません。例えば「今日は何を作るの?」「どうして今日はこれを作るの?」「なぜ今日はこれを作らないの?」日々、質問攻めで、母は大変だったと思います。

ある時、体調を崩した私に対して、母は不衛生な環境で遊んだことが熱を出した原因ではと言いました。当時、私はカイコをペットとして飼っていていました。なぜ、病原菌だらけの不衛生な環境で育つカイコには熱がでなくて、私だけに熱が出るのだろうと不思議に思ったものです。「では、どうして昆虫は病気にならないの?」と母に尋ねました。

すると母は、「大人になって自分で答えを探したらいいのでは」と答えました。

取材を終えて

ガネッシュさんは天性の才能をもったストーリーテラーです。自分の人生について話すときも、TEDxトークで自分の研究について話すときも、テレビのウェブキャストに出演してインドにおけるCOVID-19の科学について説明するときも、常に彼は優しくリラックスしたトーンで話し、聞き手を物語の中に誘い込みます。 彼のコミュニケーション能力の高さは、聴衆に寄り添い、共通言語を見つけ、聴衆が聞いて理解できるように情報を提供する能力にあります。彼はアイセムスでの、プレゼンテーションのトレーニングを通じて、多くのスキルを学んだと言います。しかし、明らかに彼はコミュニケーションに対する天性の才能と好奇心を持っており、周囲の人々や世界に対して常に質問を投げかけているように私は感じます。幼い頃から常に質問し、答えを求めることを続けてきたガネッシュは、まるでアイセムスのPIへ続く道を真っ直ぐ歩んできたようです。

取り戻した楽園

博士課程の指導教官である堀秀隆教授と。昆虫がどのように細菌性殺虫剤に対する抵抗性を獲得するのかという研究室のメインテーマではなく、昆虫がどのように自然免疫を獲得するのかを解明するという、私の幼い頃からの疑問に答えるための研究に取り組むことを堀教授は許してくれました。

やがて目の不調が回復し、本を読んだり光を見たりすることが快適にできるようになった私は心をこめて本を読むようになりました。まさに、楽園を取り戻したようなものです。そして、ただ質問するだけでなく、質問に答えられる研究者になりたいと、勉強を始めました。

私が初めてDNAを知ったのは、映画『ジュラシック・パーク』を見た時です。DNAを見た瞬間、私はこの分子に恋をしてしまいました。だから、DNAを扱う仕事にずっと魅力を感じていて、その後、生物学の分野へと進みました。 インドで生命工学の修士号を取得した後、博士号を取得するために日本の新潟大学に進学しました。そこで取り組んだのは、昆虫が病原菌に感染しても病気にならない免疫メカニズムです。まさに子供のころから持っていた疑問をテーマに論文を書きました。これも、母の「大人になって自分で答えを探したらいいのでは」というアドバイスに従ったおかげです。

昆虫からバクテリアへ

私のメンターであり、ロールモデルである杉山弘教授は、常に私に刺激を与え、野心的な目標を設定し達成するよう導いてくれました。杉山教授の機知に富んだ精神的な支えにより、私は失敗を恐れることなく、新しい研究の方向性を模索することができました。

博士課程に在籍していた頃に、新たな疑問が湧いてきました。はたして、バクテリアは病気になるのであろうか?というものです。 通常、バクテリアというと感染症や病気を引き起こすことばかりを連想しがちです。しかし、私たちの腸内には驚くほど多くの細菌が生息し、私たちの心身の健康に大切な役割を担っています。そこで、植物RNAウイルスに対抗するDNA配列特異的な免疫機構として、バクテリアから発見されたCRISPR-Casシステムについて学びました。CRISPR-Cas系は興味深かったのですが、遺伝子を書き換えるものであり、実際の医療応用に対するハードルは高いと考え、私は、もっとシンプルな錠剤での摂取を目指せる別のシステムを探索することにしました。

そこで出会ったのが、ピロール・イミダゾール・ポリアミド(PIP)です。PIPは、ストレプトマイセスというバクテリアから発見された分子です。ピロールとイミダゾールという複素環化合物により、DNAの4つの塩基を読み取ることができます。アイセムスの杉山弘教授はPIPの世界的リーダーの一人で、当時、生物学的応用をすすめられる生物学者を探していたのです。こうして、私はアイセムスで PIPを用いて細胞の運命を制御する研究に取り組み始めました。

2010年に杉山研究室に加わったのち、「配列特異的なPIP」と「エピゲノムを編集できる分子」を結合させ、遺伝子スイッチのオン・オフができるような化学物質の開発に取り組みました。生きた細胞に浸透し、DNA配列を変えずに遺伝子の働きを調節することができるのです。 また、特定の遺伝子だけを発現させたり抑制したりするように設計することも可能です。例えば、標的を正しく捉えれば、遺伝子の制御により細胞の運命を変えたり、病気の状態の細胞を正常な状態に戻したりすることができます。私たちは、疾患の治療上重要な遺伝子と細胞運命を支配する遺伝子のスイッチをON/OFFするために、さまざまなバージョンのPIPを作りました。

音楽とノイズ

アイセムスでは、できるだけシンプルなプレゼンテーションを心がけています。自宅で娘の前でプレゼンの練習をしたとき、『遺伝子のスイッチか、エピジェネティックなスイッチか』と何度も口にしたんです。すると、娘はiPadかどこかで、ミトコンドリアが細胞の動力源であることを見たのか、「スイッチなら、なぜ細胞の発電所で働かないの?」と尋ねました。確かに、ミトコンドリアの遺伝子スイッチを研究しようと思い、大学院生の日高拓也さん(現在日本学術振興会特別研究員)に相談しました。それがきっかけで、研究の幅が広がり、遺伝子スイッチのコード解読と再コード化という研究領域ができたんです。

2016年に助教となった後、2018年に自身のラボをもつことになりました。私たちの研究室は、遺伝子スイッチのコードを解読し、遺伝子発現を制御するための生物模倣的でスマート(=プログラム可能な分子認識)なスイッチを作ることに興味を持っています。私たちはみな、核かミトコンドリアの内部にあるDNAに刻まれたA、T、G、Cという文字の並びが設計図となり、生きています。 これらの文字が適切な場所と時間に転写されることが、細胞メカニズムの正常な働きを維持するために不可欠です。すべてが順調で、転写がスムーズに行われる様子は、音楽に例えることができるでしょう。しかし、この文字の転写の仕方に外的な変化や誤りがあると、音楽ではなくノイズが生じ、病気が引き起こされることがあるのです。私たちは、まずノイズの原因となっている要因を特定し、ノイズが音楽に切り替わり、文字がスムーズに正常に転写されるように編集することを目指しています。このように、細胞の転写状態をノイズや病気の状態から、正常な状態や音楽の状態に切り替えることを「転写療法」と私たちは呼んでいます。

バクテリアの言葉を話す

今、私が特に興味を持っているのは、ミトコンドリアです。DNAというと核の中のDNAをイメージする人が多いのですが、ミトコンドリアにもDNA(mtDNA)が含まれています。ミトコンドリアは、赤血球を除く人体のすべての細胞に存在し、細胞が正常に機能するために必要不可欠なものです。核に比べ、DNA修復機構の少ないミトコンドリアの場合、DNAに突然変異が起こり、病気を引き起こす可能性があります。

ミトコンドリアの起源は、バクテリアが他の単細胞生物と共生したものと考えられています。ミトコンドリアの起源がバクテリアであるわけですから、ミトコンドリアと話をしようと思ったら、彼らが理解できる言語で話さなければなりません。

これまで、PIPは、細胞核に入ることができましたが、ミトコンドリアの中にアクセスすることは出来ませんでした。そこで、ミトコンドリア内に運ぶための「ミトコンドリア貫通ペプチド(MPP)」とPIPを組み合わせることで、MITO-PIPと呼ばれる一種のスマート遺伝子スイッチを開発しました。この成果により、生きた細胞のmtDNA内の重要な配列にアクセスして特定の遺伝子の転写状態を変化させることができるようにしたのです。このイノベーションは、ミトコンドリア病の新しい治療法への道を開く可能性があります。2017年には、ミトコンドリアDNAにアクセスが可能であることを示すことができました。最近は、さらに改良を加え、変異した文字を排除し、転写をノイズが起きる異常状態から音楽のような正常状態に戻すことに成功しています

現在、私たちのグループは、他のアイセムスグループとのコラボレーションを進めています。スマートな遺伝子スイッチを進化させるためには、転写が適切な場所だけでなく、適切なタイミングでどのように動作するのかを詳しく見る必要があります。私のグループは現在、機械学習アルゴリズムを活用し、標的のタイミングを計るための方法を探っています。さらに、選択的に反応する化学プローブを利用して、ポケットサイズのDNAシークエンス装置の機械学習アルゴリズムを用い、核やミトコンドリア遺伝子の転写状態を決定するエピジェネティックな因子を特定しようとしています。

現代のエビデンスに基づく医療は、従来の対症療法的な医療にあった副作用や失敗の可能性を劇的に減らし、現代病の治療の成功率を著しく向上させました。私たちのグループは、現在の難治性疾患を治療するための遺伝子の知識に基づく精密医療アプローチにおいて、貢献することを目指しています。従来、治療のアプローチはタンパク質間相互作用を対象としており、一過性の効果に終わることが多く、患者さんによって異なるという課題がありました。転写療法アプローチは、患者間で一貫性を持って長期的な影響を達成できるのではと考えています。さらに、最近、伝染病や非伝染病の治療に核酸ベースの治療薬が承認されたことが、この方向へ進む動機付けとなっています。

研究者を目指す若い方々へ

仲間が創造性を発揮してくれるおかげで、未知の領域への旅が楽しいものになります。

すべての学問は大切なものでありますが、パンデミックの渦中である今、世界はより多くの科学者を必要としていると思います。現代の科学技術は、私たちにとって十分に快適な生活をもたらしてくれます。しかし、私たちの快適な暮らしの基本は、私たち自身の健康の上に成り立っています。ですから、もしあなたが健康な状態でないなら、私たちがどんな技術の進歩をさせても、それは私たちにとって価値のあるものとは言えません。ですから、学生には研究を自分のキャリアとし、特にヘルスケアに重点を置いた科学者になるよう勧めています。
研究者には、ヘルスケアに重点をおいた科学のような融合領域に挑戦することが必要だと思います。およそ100年前、学問に携わる人みなが科学者、学者と呼ばれている時代がありました。例えば、遺伝学の父であるグレゴール・メンデルは数学者でした。しかし、長い年月の間に、人々は、生物学、物理学、化学など、特定の分野に特化するようになりました。ただ、歴史を振り返ると、偉大な発見というのは、これらの分野が統合され、新しい学問分野を生み出した結果であることが多いのです。ですから、学生には、失敗を恐れず、自分のコンフォートゾーンの外にある新しいことを学ぶオープンマインドとスイッチが必要だと思っています。研究を進めることは簡単ではありません。失敗を繰り返しても、興味を失わず、目標達成に集中することが必要です。大変ではありますが、忍耐は立派な美徳だと思っています。