エピゲノムのコードと再コード化を武器に生命現象の解明に挑む

アイセムスの研究は、基礎と理論生物学と化学、技術と研究が複雑に絡み合っています。今回、異なる点から生物の設計情報であるゲノムDNAを理解しようとする二人の科学者に話を聞きました。

ガネシュ・パンディアン・ナマシヴァヤム
講師/PI

インド、タミル・ナードゥ州生まれ。新潟大学大学院応用生物科学研究科博士課程修了。2010年よりアイセムス杉山グループに所属し、2018年に自身のグループを立ち上げた。

谷口雄一
教授/PI

岐阜県生まれ。大阪大学大学院基礎工学研究科博士課程修了、博士(工学)。ハーバード大学にて博士研究員を務めた後、理化学研究所ユニットリーダーを経て2020年からアイセムス教授。

コミュニケーションデザインユニットメンバー(以下CDユニット) お二人は専門が異なるとは思いますが、エピジェネティクスという観点から研究背景についてお聞かせいただけますか?

谷口 私の専門は、生物物理学です。物理学といっても私の場合は、単に方程式を導くだけでなく、非常に複雑な生命のメカニズムを効果的に解析するためのアプローチ法を生み出すことを目指しています。私たちのグループではそのため、顕微鏡によるイメージング技術、遺伝子解析、計算機シミュレーション、バイオインフォマティクス、機械学習など、さまざまな分野の技術を融合したアプローチを行っています。

パンディアン 私の専門はバイオテクノロジーです。大学院の博士課程では、カイコがなぜHIVや他の微生物病に感染しないのかなど、カイコの免疫システムを研究していました。当時、カイコをたくさん飼育したのですが、同じように育てていても、大きさに大きなばらつきがあることが悩みの種でした。原因の一つが餌の量であることがわかり、このことがきっかけでエピジェネティクスに興味を持つようになりました。当時は、エピジェネティクスという現象があることすら知りませんでしたが、カイコのゲノムDNA情報だけでは遺伝子の働き方やカイコの設計図をカバーしきれないことに気づき、エピジェネティクスについてもっと知りたいと思いました。そして、アイセムスにて博士研究員としてエピジェネティクスに関係する研究に取り組むことにしました。

CDユニット もう少し、詳しくお聞かせいただけますか?

パンディアン 私は遺伝子がどのように働いているかというゲノムモダリティにとても興味があります。エピジェネティクスを理解するためには、どの遺伝子をオンかオフにするかを決定するコードを知る必要があります。私の研究は、疾患を治療する上で重要な遺伝子や、細胞運命を制御する遺伝子を制御するために、生命現象を解析し、さらにはその生命現象を模倣したエピジェネティックコードを作成することです。

私たちの遺伝情報は、ゲノムDNAの中の文字(A、T、G、C)からできています。エピジェネティック酵素は、その機能から次の三つに分けられます。
1)リーダー(ブロモドメイン蛋白質群など)
2)イレーサー(ヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)など)
3)ライターヒストンアセチルトランスフェラーゼ(HAT)

私が博士研究員をしていた杉山グループでは、ピロール・イミダゾール・ポリアミド(PIP)という興味深い分子を専門としていて、DNA中の特定の文字列を読み取るリーダーの働きをプログラムすることができます。

また、このPIPににエピジェネティクスを編集する働きのあるエディターを結合させることで、どの遺伝子を働かせるか(スイッチON)もしくは、働きを止めるのか(スイッチOFF)などのエピジェネティックなプログラムを人為的に変更することが可能です。こうすることで、幹細胞遺伝子や網膜組織、さらには生殖細胞遺伝子など、通常はオフの状態にある皮膚細胞のような末端分化細胞においても、スイッチをオンにすることができるようになります。基本的には、治療法の開発のために、役立てたいと考えています。

谷口 そうですね、とても面白いユニークなアプローチだと思います。エピジェネティクスについては、多くの分子生物学者が研究していると思いますが、彼らが取り組んでいるのは、あくまで理解のための研究であることが多いものです。しかし、今説明いただいた技術は、実際に細胞の状態を変化させることができる訳で、今後、何らかの医療に直結させることが期待できます。

パンディアン ありがとうございます。ただ、エピジェネティクスを操作することは諸刃の剣ですから、医療への応用はまだまだ先の話です。臨床段階に入る前に、できる限り技術を完成させる必要があります。ぜひ、谷口さんのお力も借りたいと思います。

谷口 博士研究員時代には、単一細胞が持つエピジェネティクスに関連する研究に取り組んでいました。私が行ったのは、単一細胞の遺伝子発現を1つ1つの分子レベルで測定し、その変動をリアルタイムで捉えることです。1分子レベルで測定することで、細胞の持つ確率的な状態の変化を精密に測定することができます。私たちは、タンパク質のコピー数が少ない場合は、個々の遺伝子発現反応のランダム性が細胞状態のばらつきに直結し、コピー数が多い場合は、細胞の分裂時間よりも長い時間に渡って引き継がれるエピジェネティックな遺伝子量の変動が個々の細胞の個性を決めていることを発見しました。これらの知見は、単一細胞のエピジェネティクスの性質を理解するための重要な基礎となるものといえます。

パンディアン とても重要な基礎研究ですね。私たちはDNAやエピジェネティクスを一次元でイメージしがちです。例えば、「この分子がここに行って結合すると、このエピジェネティクスイベントが起こる」などと捉えます。しかし私たちは、直接観察しているわけではなく、結果に基づいて間接的に推測しているのみです。生きた細胞の中では、エピジェネティックな分子は3次元、あるいは4次元に存在しています。ですから、エピジェネティックな分子を使ったときに何が起こるのか、もっと詳しく知るためには、谷口さんの技術が必要になります。遺伝子の発現を見れば、そこで何かが起きていることがわかります。それが、より優れた遺伝子スイッチングツールを作るための指針となると思います。ところで、以前、「Cell」誌に掲載されたあなたの論文の表紙がとても素敵でしたね。その研究について、もう少し詳しく教えていただけますか?

谷口 Cell誌で発表した論文の目的は、エピジェネティクスを分子構造の側面から理解することです。

私たちは、ヒストン分子にDNAが巻きついて構成されるゲノムの最小構造単位であるヌクレオソームの分解能で、ゲノムの3次元構造を解析する技術を開発しました。この技術は世界最高の分解能を誇っていて、ゲノム上の全ヌクレオソームの3次元的な位置と配向を網羅的に導くことができます。この技術を用いることで、ゲノムの分子構造が、遺伝子発現の制御やヒストン修飾にどのような影響を与えるかを調べることが可能になります。ゲノムの物理構造、化学反応、遺伝子制御の関係を3D空間の中で理解することができるようになると期待しています。

パンディアン 3Dで理解できるとは、すごいですね。リアルタイムで観察できるとは改めて驚かされます。

谷口 ありがとうございます。今後は、この技術によって生物学的な研究を展開していきたいと思っています。

パンディアン 私たちのグループは今、私たちの作ったエピジェネティックコードが細胞内の3次元空間でどのように振る舞うのかに興味を持っています。例えば、私たちの開発した分子が実際に3次元空間のどこにどのように行き、どのように近づいていくのか、そのプロセスについて谷口さんの技術で詳しく解析したいなと思っています。

谷口 そうですね、私たちが明らかにするゲノムDNAの3次元構造情報は役立つかもしれませんね。私たちは、DNAの構造はゲノム上の遺伝子座ごとにさまざまであることを発見しました。ある遺伝子座はこの構造、別の遺伝子座はこの構造というように違いがあるので、特定の遺伝子座に特異的に作用する化学物質を作ることができるかもしれません。

パンディアン 原理的には、私たちのプログラムした分子は、DNAの文字にくっつけることができます。しかし、いつもそうなるとは限りませんし、うまく行かない時は、その理由もわかりません。それは私たちの実験の問題なのか、設計の問題なのか、原因を突き止めることは難しいものです。もし、細胞のエピジェネティック環境が理解できれば、なぜプログラムうまくいかなかったのかがわかり、どうすればうまくいくかがわかるかもしれません。さらに高度なツール開発に役立つと思います。
ところで、どうやってHi-CO技術は開発したのですか?

谷口 次世代シーケンサーによる実験と、分子動力学シミュレーションによる計算に基づいています。実験としては、まず細胞内のゲノムDNAを化学的に架橋した後に、酵素処理を行ってヌクレオソームレベルに切断し、次に近接したDNA断片同士を連結します。その後、連結が行われたDNA断片を回収し、それらの配列を次世代シークエンスで解析することで、どのヌクレオソームとどのヌクレオソームが連結したかを調べます。次世代シークエンスによって膨大な数のDNA断片の配列が解読できるので、ゲノム上の任意の2つのヌクレオソームのペアの距離関係を、両者の連結頻度を基に網羅的に調べることができます。そして分子動力学シミュレーションを行うことで、それぞれのヌクレオソームがどのような3次元配置をとるかを、得られた距離関係とヌクレオソームの物理的特性を基に導きます。これが私たちの手法の原理です。

CDユニット ガネシュさん、もう少し最近の研究内容について詳しく教えてもらえますか?

パンディアン 生きている細胞内での遺伝子制御をより詳しく見るための助けとなるような研究を行っています。DNA配列による遺伝暗号は解読されても、エピジェネティック暗号はまだ解読されていません。。これまで、エピジェネティックコードのリーダー、ライター、イレーサーとして機能するエピジェネティック酵素によって変化するヒストン蛋白質周辺のコードを研究してきました。以前は、DNAのための分子ツールを作っていました。 現在は、RNAエピジェネティクスにも興味があります。RNAの文字に修飾を加えることで、情報となる文字の読み書きがどのように変わるかを知り、必要に応じて文字を修正する新しいツールを作りたいのです。

これまで、私たちのPIP技術は、「この遺伝子はONとOFFの切り替えができるけど、タンパク質への翻訳レベルではないな」という程度の研究にとどまっていました。しかし最近、ミトコンドリアを作る遺伝子をONにするエピジェネティックコードを構築し、マウスにおいてがん免疫療法の効果を高めることに成功しました。がん細胞はT細胞などの免疫細胞からミトコンドリアを吸い取っていることが知られています。そこで、T細胞のミトコンドリア生合成を、制御する遺伝子を分子レベルで狙い撃ちして増やすことで、がん細胞をよりよく殺せるようにしたのです。今後、さらに発展させたいと思います。

CDユニット なるほど、アイセムス内で他にエピジェネティクスに関わる仕事をしている方はいますか?

パンディアン そう、王丹さん(2021年3月までPIとしてアイセムスに在籍)の研究室では、シナプス可塑性に関するRNAエピジェネティクスの基礎科学に取り組んでいます。実は、RNAエピジェネティクスに応用できるツールを開発するという私の研究テーマは、彼女の研究に触発されたものなのです。王丹さんの研究室の元メンバーが私の研究室に加わったことがきっかけで、私たちはポケットサイズのナノポアシーケンス装置を使って、RNAエピジェネティクスを1塩基の分解能で解読するケミカルバイオロジー的なアプローチについて検討をしました。ナノポアシーケンス技術は、DNA(A、T、G、C)やRNA(A、U、G、C)分子の従来の文字の変化を、機械学習アルゴリズムでモニターすることにより、リアルタイムでの解析を可能にする技術です。しかし、例えば、RNAのうち、A(アデニン)はI(イノシン)やm6A(N6-メチルアデノシン)になるなどの変化もあり、これらは病気のバイオマーカーとなる可能性があります。通常、それを解析評価するには、大規模な装置を用いたシーケンス技術が必要です。しかし、臨床の場ではナノポアシーケンサーのようなシンプルな装置により修飾文字を読み取って病気を特定することが望ましいと考えられます。私たちは、核酸化学を利用して、これらの文字を選択的に読み取ることができる分子を設計し、治療上重要なRNA分子の文字の上に追跡可能な変化を作り出しました。DNAからRNAへと転写された段階のトランスクリプトームの把握が可能となります。基本的には、まずRNAエピジェネティクスを解読し、後で再コード化することを目指しています。

CDユニット なるほど、アイセムスという環境にいたからこそ、RNAエピジェネティクスという新しい研究テーマに繋がったのですね。アイセムス内の他の研究者と共同研究をする可能性はありますか?

谷口 エピジェネティクスそのものを研究する方は多くないかもしれませんが、エピジェネティクスは遺伝子発現プロセスの上流に位置するため、遺伝子の制御メカニズムを考える上では大事な視点になります。

CDユニット 谷口さんとしては、どんな研究をされている方とのコラボレーションの可能性を考えていますか?

谷口 アイセムスに入ってからよく考えることなのですが、アイセムスの強みである化学を生かして、例えばタンパク質やRNAなどを可視化するプローブを作ったら面白いと思っています。生物学的に面白いことと、実際にできることのギャップをうまく埋めていく必要がありますね。最近、ガネシュさんの研究室出身の日高さんがグループに加わり、生物と化学の両方の立場から幅広くディスカッションを行うことができるようになりました。たいていのアイデアは実現が難しいとの結論になりますが、いろいろな可能性について議論ができるのは楽しいです。

CDユニット アイセムスでは、ダニエル・パックウッドさんや王丹さんは、例えばRNAの挙動をモデル化するなどのシミュレーションをされているそうですね。このような、研究分野を超えたコラボレーションの例もありますね。

谷口 私たちの場合は、まず初めに、生物学的にどのような問いを解くことが重要かを考え、次に、その問いを実験または解析的に導く方法が無いか検討する形で、コラボレーションのアイデアを検討します。化学とのコラボレーションという意味では、例えば、2つの分子がくっつくと光るプローブがあれば、様々な生物の解析が飛躍的に進むのではないかと考え、現在議論を進めているところです。

CDユニット イメージング技術によってですか?

谷口 はい。ただ、いろいろと検討はするのですが、たいていはどこかで問題にぶつかります。一つ一つ模索しながら可能性を議論しています。

パンディアン イメージング技術といえば、杉山先生はDNA折り紙の技術を持っていて、DNAをナノスケールで折って枠を作り、その中で原子間力顕微鏡を使って1分子の相互作用を可視化することができます。私は、ヒストンタンパク質の上でDNAが巻いたりほどけたりするようなエピジェネティックな事象のリアルタイムな可視化に使いたいと思っていますし、谷口さんもおすすめできます。

アイセムス内での共同研究といえば、ダニエルさんのところと一緒にプログラミングコードを開発しています。正確にはエピジェネティクスに関する研究ではありませんが、昼と夜では体内時計の影響で遺伝子発現が変化します。このようなビッグデータを含む高次のプロセスをマッピングすることを目指してプログラミングコードを開発しています。実は、今こうして話している間にも、全く異なるバックグラウンドを持つダニエルのポスドクと私のポスドクが私の研究室で一緒に座り機械学習アルゴリズムを開発しているはずです。

CDユニット 実際に共同研究が行われているのですね。

谷口 興味深いですね。

CDユニット 谷口さんとガネシュさん、お二人ともこれからアイセムスでやりたいことがあると思います。お聞かせいただけますか?

パンディアン 私は、エピジェネティクスに関連する非感染性の疾患を治療するために、遺伝子のスイッチを解読し、再コード化することをビジョンとして掲げています。食事などのライフスタイルの変化は、エピジェネティックコードに影響を与え、生物に大きな影響を与えることが知られています。例えば、ミツバチは、幼虫という形で赤ちゃんとしての生活をスタートしますが、その中でローヤルゼリーを食べ続けた幼虫は女王蜂になり、そうでないものは働き蜂になる。人間も同じで、不健康な生活習慣は病気の原因となり、また遺伝することもあります。
特に、新型コロナ感染症によるロックダウン後は、睡眠不足、不健康な食事などにより生活習慣病が急激に増える可能性があります。しかし、不可逆的なDNAの突然変異とは異なり、エピジェネティックな変化は元の状態に戻すことができるのです。私は、病気に関連するエピジェネティックなコードを解読し、再コード化するためのツールをさらに進歩させたいと考えています。自分の子供や孫のために健康でいられる社会に貢献したいと思っています。この夢を実現し、社会に還元するためにも、私は杉山先生が設立したスタートアップ企業に参加しています。

谷口 なるほど、私たちのビジョンも似ていると思います。私たちのグループでは、多くの技術を統合して新しいアプローチを開発しようとしていますが、それが確立されれば、次のターゲットを見つけて新しいコンセプトの技術を作ることを考えています。私たちは、構造解析をベースに、ゲノムの働きをコンピューター内で理解しようと考えています。これが成功すれば、ゲノム反応のシミュレーションや、遺伝子発現制御の予測も可能になるかもしれません。ガネシュさんの研究と非常に近いものがありますね。

パンディアン 私たちは互いに補完する立場で研究を進めているのですね。ミクロの世界のDNA/RNAが細胞をコントロールしているのか、マクロの世界の細胞がDNA/RNAをコントロールしているのかは、ニワトリと卵の話みたいなものです。谷口さんが解釈しているヌクレオソームレベルでは、デコードのように実際の制御が行われていて、細胞の運命、正常な細胞になるのか、病気の細胞になるのか、皮膚細胞になるのか、網膜細胞になるのか、そういった判断はすべて谷口さんがデコードしているその特定の場所で行われているのです。私たちが試みているのは、プログラム可能な分子コードを使って、これを模倣し、再コード化することです。メゾスコピックなスケールで動くエピジェネティクスは、アイセムス の設立時のビジョンともよくマッチしています。ぜひ、谷口さんはデコードしてください。私は再コード化しますので。

iCeMS Our World Your Future vol 11(2022年3月発行)