PCP/MOF の世界へ

iCeMSの北川進拠点長が1997年に発表した「多孔性配位高分子(PCP/MOF)」は、材料科学の分野にブレイクスルーをもたらしました。微細な孔が規則正しく無数に空いたこの材料には、環境保全やエネルギー問題への貢献をはじめ、医療、宇宙、産業など多様な分野で私たちの生活に変化をもたらす可能性がつまっています。PCP/MOF研究を牽引する二人の研究者が、その世界を案内します。

PCP/MOFが活躍するかもしれない領域

北川進 拠点長
PCP/MOF研究の第一人者

きたがわ・すすむ
1951年に京都市に生まれる。1979年に京都大学大学院工学研究科博士課程を修了。近畿大学理工学部助教授、東京都立大学理学部教授などをへて、1998年から京都大学大学院工学研究科教授。2007年に京都大学 物質-細胞統合システム拠点(iCeMS)副拠点長・教授、2013年に拠点長に。2017年に同大学院工学研究科を定年退職後は京都大学高等研究院・特別教授。おもな受賞等にトムソン・ロイター引用栄誉賞(2010年)、紫綬褒章(2011年)などがある。

樋口雅一 特定助教
PCP/MOFで、未知なる価値の創出をめざす

ひぐち・まさかず
1975年に高知市に生まれる。2005年に京都大学大学院工学研究科博士課程を修了。理化学研究所、東京大学をへて、2010年から現職。2015年、PCP/MOFの実用化を推進すべく株式会社Atomisを創業し、新規産業の創出に取り組む。京都市右京区の東映太秦映画村などで、小学生を対象にクイズ形式の講演会を実施するなど、サイエンストピックや起業の情報発信に積極的に取り組む。

iCeMSでのPCP/MOFの位置づけ

iCeMSには、細胞生物学、化学、物理学といった多様な分野の研究者が集まっています。それぞれの専門性を活かし、地球環境変動、環境汚染、病気や老化など、私たちが直面する複雑な課題に立ち向かっています。PCP/MOFは材料科学分野に位置づけられ、この分野を軸にさまざまな領域に派生することが期待されています。

多孔性材料の歴史

PCP/MOFは「多孔性材料」に分類されます。これは、文字どおり「たくさんの孔(あな)が空いた材料」のこと。いわば「孔だらけ」の材料です。一見すると役に立たないように思えますが、じつは私たちの身のまわりで古くから利用されてきました。代表的な多孔性材料を紹介するとともに、その歴史を振り返ってみましょう。

約3500年前~
BC1500年

活性炭

冷蔵庫や車の消臭剤のほか、脱色、分離など、さまざまな用途で利用される材料。人の暮らしとの関係は古く、古代エジプト時代では浄水処理や医療で用いられていたことが記録されている。椰子の実をはじめ植物性の素材を炭化して生成され、孔の大きさは均一ではない。

約260年前~
1756年 天然の石から発見
1862年 人工合成

ゼオライト

鉱石の一種。約220種類の骨格構造が存在。触媒、イオン交換、ガス精製などの機能があり、石油化学産業で重宝される材料。ケイ素、アルミニウム、酸素を主成分とした強固な構造が特徴で、規則正しく孔が空いている。大きさの異なる分子の識別は可能だが、性質が似ていてサイズもほぼ同じ分子は識別できないため、正確に吸着して分離するのは困難。

活性炭やゼオライトは私たちの生活に欠かせない材料ですが、さらに性能が高く、省エネルギーで利用できる材料が必要です。私たちは日々の暮らしや交通・輸送、産業や工業の分野で厖大なエネルギーを消費しており、このうちの14パーセントを化成品製造の分離プロセスに費やしています。標的物質(ガス、小分子)をより少ないエネルギーで、効率的に貯蔵、分離、変換できる多孔性材料の開発が望まれています。

そんななか登場したのが…

20年前~
1997年 
多孔性配位高分子/金属有機構造体
PCP : Porous Coordination Polymer/MOF : Metal Organic Framework

北川進拠点長が発表した材料。微細で均一なサイズの孔が無数に空いている。活性炭の何倍も多くの分子を取り込むことができ、少ないエネルギーで効率的な分離が可能。また、孔のバリエーションがゼオライトの100倍以上で、金属イオンと有機配位子の組み合わせで、孔の大きさや性質を自由に操作できる。研究が始まってわずか20年ほどだが、広い分野での応用が期待されている。

「ジャングルジム」のような構造がよく知られているが、PCP/MOFはさまざまな構造を創れる。

PCP/MOFの特徴

PCP/MOFは既存の多孔性材料の利点ばかりを結集したような魅力的な材料です。その秘密を紐解く、3つの特徴を紹介しましょう。

表面積が大きい

表面積が大きいほど、大量の分子の吸着や反応が起こりやすくなります。つまり、表面積の大きいものほど性能が高いといえます。活性炭の表面積もとても大きいですが、PCP/MOFには及びません。なんと、あるPCP/MOF(1g あたり)の表面積は、サッカー場1面の広さに匹敵します

1 cm3のサイコロをイメージしてください。それを1cm2の孔でくりぬくと、中に4面のパネルができます。この場合、内部の表面積は4cm2です。同様に1cm3のサイコロに1辺が1nmほどの小さな穴をどんどん空けてゆくと、内部の表面積はとてつもなく大きくなります。一つひとつの孔は小さいのですが、PCP/MOFは孔の数が厖大なのです。

デザインできる

PCP/MOFは、金属イオンと有機配位子が配位結合でつながった「金属錯体」とよばれるものがつらなってできています。金属イオンは約30種、有機配位子は無数に存在するので、その組み合わせしだいで、合成できる数は無限と考えられます。現在、基本骨格だけで23,000種ものPCP/MOFが誕生しています。わずか20年ほどで、これほどの数の種類が創出されました。きょうもどこかの研究室で新しいPCP/MOFが合成されているでしょう。

配位結合が接着剤の役割を果たし、金属イオンと有機配位子とを結びつけ、金属錯体となる。

金属イオンは種類によって接続できる方向が異なる。2方向、4方向のものなどさまざま。これらの金属が有機配位子の両端に結合し、さまざまな構造をつくることができる。

かんたんにつくれる

金属錯体が無限につらなるPCP/MOFの構造はどのようにつくられるのでしょうか。答えはじつにかんたん。有機配位子を含んだ溶液と、金属イオンを含んだ溶液を混ぜる。それだけです。事前に設計し、有機配位子の両端に金属イオンと結合させる情報を与えることで、自動的にできあがります。

金属イオンと有機配位子を混ぜると、配位結合が連続して起こり、たちどころに規則的で孔のサイズが均一な高分子構造が組み上がる。

PCP/MOFでなにができるの? 研究課題の変遷

PCP/MOF研究の歴史は、3つの機能なしには語れません。①貯蔵、②分離、③変換です。1997年以降、この3つの研究課題が順番に移り変わり、PCP/MOFを進化させてきました。その経緯をたどると、シンプルな研究から複雑な研究に移行していることがわかるでしょう。研究者は、次つぎにチャレンジしているのですね。

貯蔵

MOFの孔のなかに、分子をたくさん吸着させる機能です。水素、メタン、二酸化炭素などを吸着させて研究が進められましたが、あくまでも目的は貯蔵。どれくらいの数の分子が入るのか、省スペースを実現できるのかなど、貯蔵に関する考察が初期の研究でした。

PCP/MOF 内で整然と並ぶアセチレン。2気圧ほどで爆発的に反応する危険な分子だが、PCP/MOFを用いると安定的に貯蔵できる。

分離

数種類の分子が混在する物質から、目的の1種類だけを孔に吸着させることで、その分子のみを混合物から分離させる機能です。活性炭は孔のサイズが均一ではないため、いろいろな分子を同時に吸着させてしまいます。孔がすべて同じ大きさで、目的の分子だけを吸着できるPCP/MOF は、分離性能がとても高い材料といえます。

サイズ、性質が似ている分子でも、PCP/MOFを用いると効率的に分離をすることができる。

変換

ある分子をPCP/MOFに吸着させて、違う種類の分子に変換する機能です。PCP/MOFのなかに反応性の高い金属イオンを組み込むと、これが吸着した分子に触媒として作用し、反応を促すことで変換が可能になります。まだ実用化にはいたっていませんが、成功すれば私たちにとって有害な物質を役に立つ物質に変換できます。地球上で邪魔者扱いされている分子といえば、二酸化炭素。二酸化炭素の増加は、温暖化、異常気象などの環境問題を引き起こす原因です。二酸化炭素をPCP/MOFに吸着させ、メタノールに変換できれば、「気体の錬金術」が可能になるかもしれません。

触媒が組み込まれたPCP/MOFに二酸化炭素が触れると、一酸化炭素とギ酸に変換される。

PCP/MOFの生活への応用

PCP/MOFの実用化はまだ一部の分野に限られていますが、分野の垣根をこえて応用されることが期待されています。

実用化された2例

TruPick™
〈 イギリス、MOFテクノロジーズ 〉

2016年9月発表 世界で初めて実用化に成功
私たちの手もとに届くまでにおよそ40パーセントが腐るといわれています。収穫した果物からエチレンが放出され、それが果物の表面に付着して老化にいたるからです。TruPickTMは、エチレンの働きを阻害する1-MCP(1-メチルシクロプロペン)をPCP/MOF の中に貯蔵した製品です。水に弱い性質をもったPCP/MOFを用いることで、果物の水分によってこれを壊し、1-MCPを付着させることができます。その結果、果物の腐敗を抑え、鮮度を保ったまま運搬できるのです。

ION-X™
〈 アメリカ、NuMat テクノロジーズ 〉

2016年10月発表 危険なガスを安全に運搬
PCP/MOFの貯蔵機能を利用したボンベ。ボンベの中にPCP/MOFを入れると、入れないときの数倍ものガスを低い圧力で貯められます。有毒なガスを高圧で保存するとボンベの外に漏れる可能性があり危険ですが、低圧でガスが保存できるION-XTMを用いると、安全な運搬が可能になるのです。NuMatテクノロジーズ社は韓国にある半導体工場に、ガスを配送するビジネスを展開しています。

ほかにも…

革新的なフィルターの研究

2018年 樋口特定助教と京都老舗企業との共同開発
排泄臭やタバコ臭は、快適な生活空間を阻害する存在です。すでに世の中に流通している消臭剤は、匂いの元となるすべての分子を取り込むことはできず、一部の不快な匂いは残ってしまいます。樋口特定助教は大原パラヂウム化学株式会社と協力して、あるPCP/MOFが瞬間的に、しかも完全に消臭できることを発見しました。まだ開発の段階ですが、近い将来、タバコの匂いや排泄臭のない社会が実現するかもしれません。

大学と大企業をつなぐベンチャー企業、スタートアップ企業
ある技術やサービスに特化して、新しいビジネスモデルをつくる小さな会社を「ベンチャー企業」、「スタートアップ企業」と呼びます。新しい材料が開発される際、大学の基礎研究を製品の形にして社会に発表し、大企業に材料を供給するという中間的な役割はベンチャー企業が担います。PCP/MOFも例外ではなく、ベンチャー企業が実用化の流れをつくりました。残念ながら、日本には大学の基礎研究を社会に出してゆく仕組みがあまり根づいていません。樋口特定助教はPCP/MOFの大量生産や販売、そして新しい産業の創出に特化したベンチャー企業、Atomis(アトミス)を2015年に創業し、大学と大企業との架け橋となるべく尽力しています。「基礎研究」は大学、「橋渡し」はベンチャー企業、「世の中に広く流通させる」のは大企業。PCP/MOFをはじめ新規材料がさらに発展するには、この三者の役割が欠かせません。新規材料の開発は、多様なバックグラウンドをもつ人たちが適材適所で力を合わせることで成りたつ分野なのです。

2018年10月発行 iCeMS Our World, Your Future vol.6 から転載
制作協力:京都通信社

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