「脳の可塑性」を利用すれば、 遺伝子の変異に由来する精神疾患は治療できるはず

「人間の記憶って、不思議。経験を蓄積しながら成長し、その結果として一人ひとりの個性が形成されるのですから」。 脳のしくみを語る王丹助教の瞳は、きらきらと澄んで輝く。新しい知識や経験を記憶する脳、 その高次機能に関心を抱いたのは 10 代のころ。 生命科学への好奇心と感性、思い切りのよさで、未知の領域に飛び込む。 それが王助教のパワーだ。キャリアを積むにつれ、謎の核心に近づきつつある。

iCeMS 京都フェロー
特定拠点助教

王 丹 (おう・たん)

Dan Ohtan Wang

人間の脳は、千数百億個もの脳細胞がそれぞれ平均数万個のシナプスをもちいて複雑なネットワーク(神経回路)を形成し、学習や記憶などの高次機能を司る。記憶の形成や保存の基盤となるシナプスの働きを分子レベルで解明する。それが王助教の研究テーマ。

中華人民共和国遼寧省瀋陽市出身。高校を卒業後の1994年に日本に留学し、東京工業大学生命理工学部に入学。2000年からアラバマ大学に留学、細胞分子生物学を学ぶ。2002年に南カリフォルニア大学に転入。2004年に同大学にて博士号を取得。2005年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校博士研究員、理化学研究所外国人特別研究員、iCeMS特定拠 点助教をへて、2012年から兼職。2015年に、研究課題が公益財団法人ヒロセ国際奨学財団による第1回研究助成プログラムに採択された。

医師に憧れた幼少期

「私の母方は、医家の家系。写真でしか見たことのない祖父ですが、西洋医学はもちろん、中国の伝統医療や漢方の知識も豊富で、地元のみなさんに頼りにされていたそうです」。そんな祖父に憧れて、人を助ける仕事に就きたいと考えるようになった。「生物や保健の授業が楽しくて、知識がすっと頭に入ってくる感じ。こういう世界に私が向いているかもしれないなぁって……」。
 日本留学を意識しはじめたのは中学生のころ。地元の遼寧省では外国人と接する機会はほとんどなかったが、札幌市の小学校から送られてきた折り紙に感激した。「はじめて見た折り鶴はどれも色がきれいで、日本ってどんなところなんだろうと、興味をもちはじめたんです」。
 当時、テレビ放送されていた日本映画にも夢中になった。「印象的だったのは山口百恵さんの『伊豆の踊子』。三浦友和さん、かっこいいなぁって。(笑)NHKの『おしん』も大人気でしたが、なんだか暗くて私にはフィットしなかった」。『伊豆の踊子』にたびたび登場する富士山は印象的で、日本に行ったら訪ねようと心に決めていた。

授業と実験と アルバイトに追われた6年間

王丹グループで大本育実さんが成功させた生きたマウス脳でのRNA標識法。目的RNAの有無によって、蛍光のオン・オフが制御されるプローブを脳に打ち込み、微電流を流すことで、細胞内にプローブを導入して、目的RNAを可視化する

 日本の大学を第一志望に掲げ、日本語教室に通うなど、3年をかけて準備したが、医師の道も捨てきれなかった。「当時は、日本国籍でないと日本の医学部に入れませんでした。中国で医師をめざすか、留学するか迷ったのですが、留学を選択しました」。
 せめて医学にちかい領域で学びたいと、東京工業大学生命理工学部に進学。多感な10代、はじめての外国。「中国とはなにもかもちがう。まちは清潔で、情報や商品があふれている。東京は、いまでも特別な場所」。
 大学では工藤明教授に師事。免疫学をとおしてゲノムの世界にふれた。どんな抗原が入ってきても、人間の体は、それをやっつける抗体をつくる。このプロセスを分子レベルで読み解くと、ゲノムの再編成と突然変異(スーパー・ミューテーション)。「戦略的に変異することで多様性を増すって、すごいことですよね。このしくみを解明できれば、病気を治すメカニズムがわかるはず」。大学院でのテーマも、免疫細胞のゲノムの再編成と突然変異。
 しかし、実験のテクニックは未熟で、研究は思うように進まない。月5万円の奨学金は家賃や光熱費に消え、実験とアルバイトに追われる日々。修士課程を修了し、「もっと研究に集中したい」と工藤先生に相談すると、アメリカ留学を勧められた。「工藤先生は、研究指導から生活面のサポートまで、いつもなにかと気にかけていただきました」。

ラボを渡り歩いてスキルを磨いたアメリカ留学

新メンバーBelinda Goldie先生といっしょにヒト神経細胞をもちいた特異的なRNA制御機構を研究している

 心機一転、24歳でアラバマ大学にあるピーター・バロウズ教授の研究室に入門し、ゲノム再編成と変異メカニズムを自分の手で解明しようと意気込んだが、まもなく両方とも、『Cell』に重要な論文が掲載された。「謎が解明されてしまったと落ち込みました。いま思えば、解明されたのはほんの一部。謎はまだまだ残っていたのですが、ショックでした」。

 挫折からはじまったアメリカ留学だったが、収穫は大きかった。「若いうちにいろいろな研究を見たほうがよい」とピーター教授に勧められ、いろんなラボをまわり、研究者としてのスキルを磨き、自信を築いた。「多様な民族や文化が共存するアメリカには、こうでなきゃいけないというスタンダートがありません。ありのままでいられるから、気持ちも開放的になるんです。外国人を特別扱いせず、同じように扱ってもらえた」。
 ラボをまわるなかで、とくに興味をもったのがニューロン・サイエンス。「目に見える現実世界 と脳の内部に映しされる世界は同じものか、他人どうしがなぜ同じ色を認識できるのか、そんな素朴な疑問を解明する講義が印象的でした」。

脳の神経回路は経験によって無意識に書き換えられる

 アラバマ大学から南カリフォルニア大学へ転入した。卒業後は、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の精神医学部門で研究に従事。人間の喜怒哀楽の感情や、覚醒時や睡眠時の状態をコントロールしているのは、つきつめれば脳内のケミカルなバランス。「大学院生のころから、神経伝達物質(脳内ホルモン)のセロトニンやドーパミンなどのトランスポーター分子を研究していました。どうすればハッピーを感じるのかという分子メカニズムは、じつは記憶機能と深く関連しているんです」。
 エピソーディック・メモリともいわれる記憶機能は、経験によって脳内の神経回路が無意識に書き換えられることで保存される。その過程を捉えることは、脳の高次機能の解明の一つの入り口になるはず。そんなひらめきが、現在の研究につながっている。「私の強みは、分子生物学の知識とスキル。ポスドクのとき、長期記憶の形成のさいに遺伝子の発現が神経回路に動員されるしくみを留学先のラボで学び、その理論を勉強しました。ここに私の活躍の場があると確信しました」。しかし、RNA(リボ核酸)の働きを知ることと記憶機能の解明とは、遠く離れている。「まずは、そのあいだをつなぐ『橋をかける』のが私の仕事です」。
 脳のどこでどんな遺伝子のレスポンスがあるかを、生きた神経回路で確認できれば、記憶がそこに保存されているかどうかを問いかけることができる。「核心に迫る答えがすぐに見つかるわけではないが、仮説を証明するツールにはなる。謎解きのスタートラインに立てるのです」。

マウスの海馬の初代培養神経細胞。脳細胞を染色し可視化することで、細胞の活動を観察する。樹状突起は緑、RNA制御タンパクは赤で染色されている。aでは核内に、bでは細胞体にRNA制御タンパクが局在するのがわかる

化学者のものの見方はとても新鮮。アプローチ方法はまるでマジック

 2010年に再来日し、いったんは埼玉県和光市にある理化学研究所に。RNAをライブ・イメージングするツールに不可欠なプローブ(DNAやRNAなどの核酸をもとにしたオリゴ鎖)をつくりたくて、有機合成の研究室に1年ほど在籍。「それまではバイオロジストとしての経験を積みましたが、分野が違うと発想もアプローチもぜんぜん違う。化学者たちの視点でRNAを見てみると新しいものが見えた。アプローチの方法はまるでマジック。特殊なプローブを細胞に投与すると、RNAは突然光りだすのです」。UCLA在籍時から、さまざまな手法を駆使して準備してきた努力が実を結んだのは、東工大時代に出会って結婚したご主人が勤務する、この京都の地だった。
 iCeMS主催のセミナーで設立拠点長の中辻先生に会い、「細胞研究者、大歓迎! いつ京都にこられる?」と誘われ、1つのグループをまかされることになった。日本の化学分野は世界トップレベル。ノウハウの蓄積もあり、ノーベル賞受賞者も数多く輩出している。「私の研究は日本でこそ達成できると感じました。たどり着いて、京都──数年前には想像もしていなかった未来をいま、経験しています」。

人間の学習機能や記憶機能のしくみを利用するアプローチ

 精神疾患に苦しむ患者さんは多い。こうした病気は患者のゲノムに蓄積されている遺伝子の変異と関係していることが、これまでの研究でずいぶん解明されてきた。精神疾患の治療の歴史は長いが、現状での有効な治療方法は薬の投与と電気ショック。創薬研究は進んでいるが、神経回路を特定してピンポイントで投与できないから、副作用も多い。脳内物質の働きを直接制御したり、遺伝子操作したりする方法もあるが、王助教は、「人間の具えている学習機能や記憶機能のしくみを利用するアプローチに、大きな可能性を感じます」。
 外部からの刺激に応じて、脳内の神経回路はつねに書き換えられる。そうした「脳の可塑性」の力を利用すれば、その人をとりまく環境を変えることで、脳内のゲノムの発現パターンが変わる。「遺伝子発現パターンによって誘導される神経回路の書き換えが起これば、反応としての行動を変えることができるのです」。
 うつ病の抗鬱剤は、セロトニンの放出を促進し分解を抑えて、セロトニンがより効果的に働くようにする。「でも、人間の頭はフラスコではありません。ピンポイントで治療するには、脳の繊細なインポート機能を利用するほうがはるかに有効です。脳にはもともと、自己修復する力があるのですから」。
 目的のRNAを発光させてその働きをとらえる研究は、まだマウスでの実験段階。同じプローブを人間の脳には投与できない。「プローブの種類を変えたり、医療現場で利用できるプローブの開発もしたい」と、夢は大きい。「医者になりたかった10代のころの夢がつながって、ここにいるような気がします」。
 iCeMSのミッションは融合研究。異なる分野の研究者が刺激し、切磋琢磨することで、新しい地平が拓ける。「ライフサイエンスとテクノロジーの融合には限界がないことをiCeMSで知りました」。

10名のリーダーとしての役割と葛藤

 王助教の研究グループのスタッフは10名。遺伝子プログラムと神経回路の活動がどう連動しているかを解明しようと、いっしょに研究している。
 実験をセットアップするのも、新しいデータに最初に接するのも、メンバーたち。実験の着想や解釈はその人の研究背景や興味に影響されるので、プロジェクトの展開方向が現場でどんどん変化していく。それがおもしろい展開を生みだすこともあるし、小さなズレが積み重なって、本道から離れてしまうこともある。リソースや時間の限られたプロジェクトでは、リーダーに求められる役割は大きい。「これまでは一人の研究者として、アイデア力や集中力が求められましたが、いま重要になってきたのは人のマネージメントとそれに必要なコミュニケーション能力です。実験室で手を動かしているスタッフは、私よりすこし未来にいて、報告を待つ私は過去にいる。その時間差をできるだけ短くしたいのですが、同時にはできない。これまでは脳の中のハードディスクは一つで足りていたのに、立場に応じて分割しなきゃいけない」。(笑)

家族そろって夕食をとって娘とゲームも

 出勤は朝9時前。まずはコーヒーを飲みながら『Nature』、『Science』、『Cell』、『Neuron』などの科学誌の論文にじっくりと目をとおす。「この時間がとても楽しいんです」。スタッフがそろったらミーティングしたり、個別相談したり、気づいたらメールのやり取りや事務手続きに追われて、午前中はあっという間。昼ごはんはラボの仲間といっしょに食べて情報交換。「研究費申請書や論文執筆やグループのホームページの更新など、つねになにかを書いていますね。6時くらいには退所して、娘を迎えに行きます。夕食は家族そろってゆっくり食べて、いっしょにゲームをしたり……。娘は9歳。はやく一人前になって、私の研究を助けてほしい(笑)」。
 家にいても研究のことが頭を離れず、娘の話に生返事することがある。「ママ、約束したのに!」と叱られることもしばしば。夫も研究者。年齢も同じでキャリアステージも似ている。悩みを共有できるから、家でも仕事の会話が飛びかっている。「娘も影響を受けているみたい。朝、ラボにきて鞄を開くと、『ロンドンがんばってね』と手紙が入っていたりする。『論文』って書きたかったんでしょうね。(笑)ノーベル賞の発表が近づくと、『ママ、ノーベル賞何個もらったことがある?』って聞かれます。私はそんな娘から、たくさんの元気をもらっています」。

制作協力:京都通信社

※本記事は、アイセムスのニュースレター「Our World Your Future vol.1」に掲載されたものです。研究者の所属などは、掲載当時のものです。